ついに最終回だが画像が膨大です。
さて、東西本願寺。 本願寺が東西に分かれた歴史をかじってみたのですがなかなか面白いものでした。
すっかりお世話になった東横さんを後にして京都駅のロッカーへ荷物を預けてまずは東本願寺。 徒歩で行けるのですが途中欧米系の方に道を聞かれてお教えした。
旅行前から地図を見ていたので京都の地理はある程度把握できました。
世界最大の木造建築物の御影堂は親鸞生誕何百周年とかで大工事中。
とてつもないでかさ!!! さすが信徒の数が多い東本願寺。 この中にお堂が入ってるのですよ。 半端内です。
堂の中に入れました。 とにかく梁にしても造作物がでかいのなんの。。。
圧倒されました。 信徒の方が雑巾掛けをされてました。 そして木材を引くのに女性の髪を集めて縄にして引っ張ったそうです。 それも残ってましたがちとグロテスク。
門も細工が細かい。
周囲に堀がはってあり、この重厚なもんからしても要塞としての機能もあったのでしょうか。
ここも段々黄色に色づいてきました、そして西本願寺へ。是非見たかったのが、、、
国宝の唐門!! 伏見城から移築されました。 すげーこの極彩色!!!
見ていると日が暮れるぐらいに美しいことから別名日暮門。
この彫刻の細かさと色!! 見ているのは私だけでしたがやっと落ち着いて観光できました。 信長、秀吉の作った安土桃山文化ってのはほんとに凄い。 この名残が宮城なら瑞巌寺で見られましたね。
こちらも御影堂は修復中。
太鼓楼。 新撰組が使っていました。
西本願寺をあとにして京都御所へバスで向かう。
途中下車して二条城、人が多すぎて御所へ直行することにした。
京都御所敷地内、木々も色づいてきました。
はいきた、来島又兵衛。 この木の付近で討ち死にしたそうです。 ここってもう御所内のすぐですよ、長州藩は幕府・薩摩・会津連合軍を敵に回して良く戦ったと実感できます。
禁門の変の先頭の中心となった蛤御門。 テストに出ます。
八月十八日の政変で長州派だった三条実美以下の七卿が長州へ落ちていきます。
その挽回を狙って積極派が京都へ乱入しました。 結果は長州が敗北し、第一次長州征討へと繋がります。 どう考えても勝てる戦いではなかったのに、戦闘に及んだ長州藩はまさに『狂』の一言につきます。 吉田松陰の『狂になれ』の薫陶なのでしょうか、それとも志士たちの気力なのか。
蛤御門。 感慨深いですね、150年ぐらい前はまだ甲冑を着た武士たちが戦いをしていたのです。
弾痕です。
激戦でした。
そして、、、御所の中に入ります。
ここでは荷物検査があります。
書くの疲れた、二回に分けさせてください。
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