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京都旅行本番の3日目。 汚い部屋からは早く脱出したいと7時起床、朝食バイキングを食べて東山方面へGO!!。 荷物と駅のロッカーに預けて移動。 これが後で大問題に、、、。
四条大橋から見る鴨川。 やっぱ京都はステキだ。






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朝の八坂神社。 地元の方がお参りをしているのを見かける。 これが日常なんでしょうね。 ステキだ。









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こちらの門を抜けて、清水寺方面へ。









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親鸞のお墓がある大谷本廟。 









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その通りです。 門を入ると一気に静けさが増します。 親鸞の霊力がいまだ効いているのか。










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階段を登るとこちらが親鸞の眠る廟です。 中には入れません。
私にとっては中世仏教史に出てくる人物ということで興味あり。
しかし西本願寺の信者の方にとっては聖域ですね。
私もここではしっかり手を合わせお参りしてきました。
ただお参りする場所が後方なのに、お廟のまん前で手を合わせてしまいましたが。。。 
うん、この場所で騒ぐ人間がいたらほんと色んな意味で空気が読めないと思います、そのぐらい空気が澄んでおります。  是非のお薦めの場所です。



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豊臣秀吉の正室、北の政所が晩年を過ごした高台寺近辺。









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さて、清水寺へ向かうのに坂を上りつめる。 ここは静かだったのに三年坂に行ったら修学旅行とアジア系の方でごった返す。 ここは新宿3丁目か??









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清水寺。 人が多すぎて本堂は駆け抜ける。








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ベストショット!! 









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ぬおおおー、こんなところでアテルイの碑が。 アテルイは岩手県近辺の領袖?で、平安時代に聖武天皇が征夷大将軍坂上田村麻呂を奥州に遣わして戦いに負けて、平安京に送られました。 この勇将の存命を田村麻呂は願ったのですが、叶わず処刑されてしまいました。 東北地方が一段低く見られるのは、私は『東夷』と言われたこの頃の名残が続いていると思います、あくまで私見ですよ。





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清水はまだ紅葉は早かった。 そしてマニアックな目的地へ向かう、、、








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途中、これは明保野亭!! 竜馬がゆくの愛読者はすぐお分かりかと思いますが、土佐藩福岡家のお嬢様・お田鶴様と密会した場所です。 この辺を坂本龍馬があるったと思うとそれだけでテンションが上がります。 この気持ちはわかる人は理解できますね。






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11月15日は坂本龍馬の誕生日及び殺害された日。 なのでこの霊山護国神社ではこのお祭りが行われます。 ハードなファンが全国からやってくるようです。 これにはさすがの私もついていけない。








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維新の道。 松下電器産業の創業者、松下幸之助氏などが寄付してこの碑ができたようです。









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お寺の上には目的のマニアックな場所が、300円支払い中に入ると早くもハードなファンたちのメッセージが。 この石を1.000円で購入して何かしらメッセージを書くようです。 一体誰へのメッセージかと言うと、、、









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来たーーーーーーーーーー!!!!!!!!
左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎のお墓です!!!
もう3度目?ですけど、ここが最高にテンション上がります。
左奥には一緒に殺害された峯吉のお墓も。

大政奉還が成った1867年10月15日より1月目の11月15日。
その日は坂本龍馬33歳の誕生日でした。 すでに志士として名前の通った坂本は幕府、新撰組などに狙われる存在。 しかし土佐藩邸、薩摩藩邸などで起居することを堅苦しく感じてか、四条近辺にある近江屋で宿泊していました。
十津川郷士と名乗る数人が近江屋に押し入り、坂本はその日殺害されました。
中岡慎太郎が数日生き続け事件の記録が残ることになりました。
北辰一刀流の免許皆伝の腕を持っていた坂本でしたが、刀を引き付けておらずなんともあっけない最後。 
犯人は幕府見廻組という説が有力です、しかし私は薩摩藩も怪しいと思っています。
幕府は既に政権を投げ出しており徳川慶喜よりうかつに動くなと命令が出ており、
ここで志士第一級の坂本龍馬を殺せば、さらに討幕派に火を注ぐようなもの。
物事には必ず理由があり、歴史には得をする人間と損をする人間がある。

坂本・土佐藩は大政奉還で幕府は潰すが徳川氏は残すと言う方針になっていた。
しかしあくまで倒幕を目指す薩長はこれがなんとも歯がゆい、一大名になっても数百万石を擁する徳川氏に対して、薩長土肥を合わせてもそれには到底及ばない。
また徳川氏が力を盛り返す可能性もあり、しかも幕府軍は徳川慶喜が育てた洋式歩兵隊、榎本武揚の率いる当時国内最強の幕府海軍、使えるどかどうかは別として旗本八万騎と言われた旗本、御家人も江戸にいる。 ということはこの領地を召し上げなければ、禍根を残すと言うことだ。 

軍資金も底をつきかけていた討幕派はなんとか、徳川慶喜が上方にいる時に戦いを挑んで勝利を収めて日和見藩を味方に付けたいと考えるはず。
そうすると邪魔なのは徳川氏を残そうとする土佐藩・坂本龍馬を除けば、倒幕まで一気に持っていける。 

この推理はあちこちの本で見かけますが、私も同感するところです。
坂本を殺して得するのは誰?と考えればね。
岩倉具視が明治維新後、維新前夜に行った大久保利通との密謀は絶対明かせない
と言ってましたが、最大の幕府擁護者であった孝明天皇の急死も不思議。
坂本も自ら手は下さず、宿泊所を見廻組に情報を流せば証拠も残りませんし。
出所はこの辺が怪しいと私見ですが思っております。

いや、ちょっと待て藤村くーんとメールなど寄越さないようにしてください。
趣味の世界です、趣味。





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私もついに33歳になってしまいましたと墓前で報告。
すごいなー同い年であれだけのことがやれたのですから。








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中岡慎太郎。 この方も坂本より年下なのに凄いですねー、薩長連合の立役者です。









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お墓から見る京都市内。 自分たちが走り回った京都を見守っているんでしょう。
ここには外国の方もいません、ただ小学生の子二人が『龍馬さん!!』と走ってきてお墓の前で額づんだのですが、私でも『この子達こえー』と思いました。
竜馬がゆくは司馬さんが肉付けした坂本のお話。
これが後の龍馬評になりました。 これを否定する考えを持つ人は多いです、しかし北辰一刀流免許皆伝、そして千葉道場のお嬢様さな子とのこと、脱藩、勝海舟への弟子入り、神戸海軍操練所、亀山社中、海援隊、薩長連合、大政奉還を後藤象二郎へ進言、夕顔丸での船中八策は五箇条の御誓文へ、おりょうとのことなど繋ぎ合わせればたった数年でとんでもないことをした人物です。 それをわかって欲しい。 司馬さんが最終巻末で『龍馬の青春はわが国が世界に誇れる青春』と記しましたが、まさにその通り。 戦後へこんでいた日本国民を勇気付け、さらに素晴らしい歴史を持った国だと自負せよと竜馬がゆくを執筆したのだと思います。

他の国の歴史は中国史、ローマ史あとはうすーくしか知りませんが、私は生まれた日本の歴史が大好きです。
なので当店は日本のブランドがほとんどという理由の一因です。



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お墓の周りのファンレター。 私はあくまで尊敬する歴史上の人物だが、彼らにとってはアイドル扱いなのでしょうね。 






これでここの紹介は終らないのだ!!
また明日に。






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