ついに鯖江旅行記も最終章を迎えることになった。
プラスティックフレーム工場の後に行ったのがこちら。
私が日本史好きというのをご存知の営業氏がわざわざスケジュールに組み込んでくださった場所だ。
福井といえば幕末なら橋本左内、松平春嶽が有名。 福井市内には左内町という地名があるそうだ。 そして戦国時代〜安土桃山では柴田勝家が北ノ庄城で羽柴秀吉に滅ぼされたりするのが有名か。 でももう一つ大事なのがあるではないですか!!

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その前にこちらは一乗滝。 佐々木小次郎がつばめ返しを編み出したところだそうです。









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きれいな滝でした。
さてこの下から本題だ。

福井は眼鏡を知る前まで私の中では『福井=一乗谷』か、『福井=梵(地酒)』のイメージ。 
というわけで、最大の名所一乗谷のご案内だ。
もうご存知だと思うが、戦国大名朝倉氏の屋敷があったところ。
朝倉義景が亡命中の室町幕府15代将軍の足利義昭を迎えたこともありました。
後に足利義昭がなかなか上洛しようとしない朝倉を見限り織田信長に頼ることに。信長は浅井長政などと同盟を結び足利義昭を奉じて上洛を果たしました。 信長は将軍への礼を取らせる為朝倉に上洛を求めましたが無視。 大義名分を得た信長は徳川家康と朝倉攻めを開始し金ヶ崎まで進軍するが、朝倉と古くから同盟を結ぶ浅井の裏切りが発覚し、信長は京都へ逃げ帰る。 その時殿戦を務めたのが羽柴秀吉を名乗る前の木下藤吉郎ですね。 

その後足利義昭と信長は対立を深め、義昭が武田信玄、上杉謙信、朝倉、浅井、石山本願寺、延暦寺、毛利などに信長討伐の指令を出して信長包囲網が作られた。
しかし朝倉・浅井連合軍を姉川の戦いで勝利、最も恐れていた武田信玄が京都へ上洛途中で病死などで包囲網が崩壊していく。
そしてついに越前に進行して朝倉義景を滅ぼし、一乗谷は火をつけられ壊滅しました。 
その後浅井長政も小谷城で自害して、お市の方が茶々など3人の娘と城を落ち延びるという悲劇にも繋がります。
この朝倉氏の居城の一乗谷です!! 
ねーここまで説明すれば興味が沸くでしょ、


で、
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これは町並みを復元したそうです。
全然面白く無いし、興味が沸かない、興奮しない。
なんだ期待はずれかと思いきや、この町並みではない野原のような一角から歴史マニアしか感じないオーラが出ていた。
行ってみると、、、






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すごい!! 当時の建物の礎石になった石ですよ!!
後から観光用に設置した石と何かが違う。







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この石も戦国時代のまんま。
そう、一乗谷は『日本のポンペイ』と呼ばれているそうで、当時の遺構がそのまま発掘されているのです。
面影が残っていますね。
この時点で大興奮し、営業氏に『何で石見て喜んでんだよ、気持ちわりー、こえー!!』など言われながらも熱心に遺構を見た。
しかし、私たち二人以外は観光客無し、復元した町並みを見ているようだ。
みんな、そっちじゃなくて見るのはこっちだよ!!




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土塁。 石が黒くなってるのは焼かれたなのかなと思ったのだが、誰かに聞いておけば良かった。 ここはこんなのがごろごろしてるんだよ、どうだい興奮するでしょー。 営業氏からは『何が面白いのか全く理解できない』と言われた。








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これも建物の礎石でしょうか。 区画ごとに分かれてますね。
すげー。









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これはなんだろ、井戸の跡かしら。 









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石を敷き詰めてありますね。









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この石の上に柱を立てたのでしょう。








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こんな感じの原っぱに石が点在しています、間違いなくオーラが出ています。
『これから鯖江に工場見学来れた小売店さんを、ここに観光でつれて来れば絶対喜びますよ!』という私の意見に、『無いね』。









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ほら石塁だってきれいに残ってるのよ。まだ発掘は途中だそうです。
戦国時代の城下町が建物から道路までほぼ完全な姿で発掘されたそうです。
これって凄いことなんですよ、ただの谷だったところから遺跡が奇麗に出てくるんですから。 他に城の入り口の土塁や石塁、庭園跡もあったそうですが時間が無くて見逃しました、また是非是非訪れてみたいところです。






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俯瞰で見たら一乗谷は守るには適さずどう考えても城っぽくないと思っていたら、ちゃんとあったのです。 この谷の上に一乗谷城という山城がありそこにも遺構があるようです。見逃した!! 次回の鯖江旅行は間違いなく一乗谷が中心となること間違い無しです。 

いやー素晴らしいところを見せて頂き感謝感激でした、車の中でどんだけ凄いか興奮して話していると『全く理解できない』で終了。
いつかはわかって頂けると思ってます。

先日店の前を書家のtep-pei氏が通っていった。 氏はなんせ高杉晋作の時世の句を諳んじられる周囲では数少ない歴史マニアだ。 『京都で霊山護国寺も行ったけど、一乗谷にも行ったんですよ!!』と興奮して話したら、『一乗谷?』。 『?? いや、ほら信長に滅ぼされた朝倉の』。
 『あー』。 まるで乗ってもらえなかった。 非常に残念だった。




みんなで石見て興奮しましょうね!!


間違っても怒りのメールなどはよこさないで下さい。
黙ってこちらを押して明日からの京都旅行記にご期待ください。
でも私はほんと面白かったのですよ。
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