いろは坂は下るのが恐ろしい。 前を走っていたあほなドライバーが、前の車を外から抜こうと何度も仕掛ける、しかし頭にきたのでしょう抜かれまいとブロックするという恐ろしい光景が眼の前で展開されておりました。 
何かあると怖いので私は車間距離をとって後ろで観察。

市街地までは順調に行ったが駐車場がどこも満車で入れない、1時間ほどかかって何とか駐車。

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歩いていくと途中には『神橋』。 将軍家や公家などしか渡れない橋だそうです。








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おおおっつ、東照宮だ! 学生もマナーの悪いアジア系外国人もおらず平和だ。
意外と欧米の方が多いのね。








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東照大権現!  
徳川家康への神号です。








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表門。 









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有名な三猿。 飲ま(酒)ざる、賭け(競馬)ざる、スポーツクラブに行かざる、ラーメン食わざる。 こんな人生嫌ですね。。。









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いやー絢爛豪華!









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御水舎といい、お参りする前に手を洗って口をゆすいで身を清める場所だそうです。








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出たー、陽明門! 










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金箔が贅沢に使われています。 まさに極彩色。 










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この彫刻の細かさ、美しさはどれを見ても飽きません。 日本人ってほんと昔から器用なんですね、日本の技術万歳ですわ。

進んでいくと『奥の院』というところがあり、眠り猫が見られるそうです。
それにしても『奥の院』、名前からすると何かあるはず。






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眠り猫。 かわいい猫ちゃんです。

石の階段をひたすら登る、約200段あるようです。 近づけば近づくほど確信が! 間違いなく家康のお墓があるのを直感で感じます。










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拝殿。 絢爛豪華な建造物と違いこちらは銅が巻かれています。
さらに奥には、











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鋳抜門 この先には間違いない、絶対間違いない、、、、










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これそうだろう間違いないでしょう!と、札を見るとやはり家康のご廟所です。御宝塔というそうです。 江戸幕府の初代将軍あの徳川家康が眠っている場所ですよ! 大興奮!! 









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唐門、拝殿は修理中でした。 ここでも天井やら壁などの彫刻を見るとありえないまでの精巧さ、そして豪華さ、良くこんなもの作れたと唖然としてしまいます。 拝殿には上がれたのでそこで宮司の方のお話を聞くと、家光が東照宮の大改築を指示してから2年弱で完成されたそうです。 重機も無かった当時、数多くの職工の手間によるのでしょうが、現在ではこんな短期間に出来るのか?と、思ってしまいます。 宮司さんが『日本人は器用と言うがこれは天性のもの』のようなお話をされていたと記憶しておりますが、日本人の芸の細かさは真似しようとしても、もって生まれたものが違うのです。 





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宮大工?の方々が暑いさなか修復中です。





さて、ここからがさらに1人で楽しむというか、私・石井しか楽しめないコーナーです。

上野の東照宮や、京都旅行でも石碑やら文字が書いてあるものを見ると反応します。
今回の獲物は





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燈籠です。
ただの燈籠では無いのだ、下のほうを見て欲しい。








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源朝臣田沼意次と彫ってあるではないか! 田沼寄贈の燈籠です。 田沼家治に重用されて老中まで出世した人物です。 松平定信の政治と比較され、『白河の清き流れ魚住まず、濁れる田沼、今は恋しき』みたいのが教科書にのってましたよね。。 田沼政治=賄賂政治のようなイメージが強いが、倹約倹約一辺倒の経済政策から、貨幣経済を推し進めようとしたのですから、ある意味新進の幕政改革者であったと思われます。 ただ、自然災害などの社会混乱、そして田沼の出世をねたむ保守派、決定的だったのが将軍家治の死で田沼は失脚してしまいます。 その後は将軍家斉の元で老中となったのが白河藩主松平定信、寛政の改革です。 これは結局吉宗の享保の改革と一緒の倹約倹約、そして農業を基本とした経済体制だったので、時代は逆行し結局幕府の財政はさらに苦しくなりました。 






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こちらは藤原朝臣本多忠政。 家康の武将で最も有名な猛将といえば『本多忠勝』、その息子です。

そう、『朝臣』とみなついてますが、これは朝廷の臣下ということ。 将軍も征夷大将軍とは言え天皇から拝命されたものです、そして朝廷より官位をもらうので武士とはいえ『朝臣』なのです。 ちなみに本多忠政は『藤原』、田沼意次は『源』とついてますが、この時代は『源平藤(藤原)橘』は日本の名族で当時はこれを朝廷から賜って本姓としていました。 

皆三猿を見たりしているのに、熱心に燈籠の刻印を見ている私は背中に視線を感じる。 他の観光客が怪訝な表情で。。。 外国の方が通訳の方と燈籠を見ていたが、二人とも『わけわからんちん』みたいなジェスチャー。 



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おみくじをひいたら『大吉』。




現在、平家物語を読んでいるので平泉に行ってみたい今日この頃です。






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2009 5月〜 イラストレータ SATOM
2009 7月〜 書家 tep-pei
2009 9月〜 PINSTRIPE タカハシアキオ
2009 10月〜 イラストレータ KICK-O
2009 11月〜 ABE YUKO
2010 1月〜 YAMA
2010 2月〜 ABE YUKO
2010 3月〜 SUNNY WRITER YOCO
2010 5月〜 イラストレーター SATOM
2010 6月30日〜7月8日 YAMA
2010 7月9日〜8月 couji 製作協力E-comfort