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mixiニュースを見ていたら『信長の野望新作』などというコラムが。光栄のゲームで『信長の野望(友人は信長の野暮用と言ってた)』というのがあり、小学校から大学の時まで散々やっていた。 

その中で武田家は群雄割拠の時代でもたくさん良将が最初からいて、初心者向けにはとっても扱いやすいのだ。
信長の野望をやったことがある人ならわかるはずですが、織田家は羽柴秀吉、明智光秀などはまで出てきてないし、伊達家なんてまだ正宗が家督を継ぐ前なので、正宗もいない、片倉小十郎、伊達成実ももちろんいないという過酷な状況なのだ。
それが武田家では武将が数多豊富でやり易いのです。

今、織田信長の小説で武田勝頼との『長篠の戦い』のくだりを小説で読んでいます。
父信玄が亡くなっても、信玄と辛苦をともにし武田家を大きくしてきた家臣達は
この時まで生きていました。 山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、原昌胤など。 それが長篠の戦いで戦死してしまうんです、なんともったいないことか。 いずれは信長に併呑されていたのでしょうが、長篠の戦いの結果があれだけの敗北でなく、上記の武将も生きていたなら信長も簡単には攻められなかったでしょうに。 いやー歴史は面白い!!と再認識。

話がそれましたが、『信長の野暮用』とは大学時代の友人が気の抜けた話とばか話が大好きな友人がいて、『信長の野望』を『信長の野暮用』と言って爆笑したのをふと思い出した次第です。

以前も司馬遼太郎の『国盗り物語』など色々読んでいたので、『織田信長はこんな人物』というのが頭の中に出来てますね、私だけでなく皆さんそうだと思います。 信長関係の本を読んでいてつくづく思うのが『いやー、仕えづらい主君だわ』という印象です。 部下を斬ったりするのは理由があってのこと、しかも清廉潔白というか潔癖症で怠慢を絶対許さない、恐い!! 
安土城の研究で、安土山中に信長は自分を祭るお寺?神社?のようなものを建てていました。 どうも信長は神になろうと思っていたようですね。
確かに上記のような曲がったものは大嫌いな性格、そして絶大な権力、支配者としての能力は当時は空前絶後だったと思います。 『自分は神』と信長は考えたのもしょうがないかなと。 明智に討たれてしまいましたが、生きていれば毛利を数年で滅ぼしあとは群雄割拠の九州は大友、島津ぐらいが強敵。 そして東は謙信亡き上杉、武田、あとは関東の雄である北条がいるぐらい。 かなり早く天下統一が出来てその後は海外に、、、と思っていたのでは??

そんな信長にすれば日本統一は『信長の野暮用』だったかも知れませんね。
20年以上日本史の追っかけをやっきて中学や高校のときとさほど極端に知識が増してないのに、こんなことに気が付くのは歴史の面白さです。

『信長の野望』から思いついた雑談でございました。

本を読みながらこんな考えにふけってた今日この頃です。

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